能の一番奥深い曲に
「檜垣」「姨捨」「関寺小町」という三曲がある。
是を総称して三老女という。
今日は観世清和さんの「檜垣」のワキを勤めてきた
初めて勤める曲で緊張したが
極めて奥深い曲で、私などにはとうてい演じきれる曲では
ないことが、よくわかった。
まずワキの名乗りが、むずかしい・・・
九州肥後の国、岩戸の山奥の観世音菩薩のある寺に
住んでいる僧の役だ
「南西は海雲漫々として万古心の内なり・・・」
このサシ謡の節が独特で、調子がとりにくい
何度謡っても納得できない
世捨て人の僧なのであろうか・・・
そこへ百歳にもなろうと見える老婆が毎日
水を汲んで供えに来る
名前を尋ねると
「年ふれば、わが黒髪も白河の、みつはぐむまで老いにけるかな」
という歌を詠み、私の跡を弔ってくださいといい、姿を消してしまう
この歌はは毎日水を汲む時に自分の姿を水鏡に映して詠んだ歌なのだ。
老女はかつて若い頃に太宰府に住む
藤原興範の前で舞女を勤めていた
その興範がある時白河のあたりを通った時に
檜垣をしつらえた家の前で、水を乞う
そこに住んでいたのが、かつての舞女だった檜垣の女だ
檜垣で家の周りを囲み、誰からも見られたくなかったのだろうか?
かつては絶世の美女ともてはやされ、興範に使えていた
その時に興範が喜んだ水の思い出が一生忘れられないのだろうか
百歳にもなろうとする老女が毎日、白河の家から
岩戸の観世音に閼伽の水をささげに通っている
タクシーを使っても20分ほどかかる距離だ
観世音菩薩が藤原興範に思えたのかもしれない
そこで老女は紅い涙を流して自分の人生を嘆いている
まさに血の涙だ
「誰か生死の理を論ぜざる、いつを限るならひぞや」
この曲のクセの謡ほど、悲しい謡は無いと思った
水を汲むため、釣瓶をたぐる姿に
人の輪廻の虚しさが伝わってくる・・・・
檜垣の女は興範を愛していたのだと思う
何処にもそんな文章は無いが・・・
今日は梅若六郎さんの地謡、観世清和さんの
老婆の姿に思わず涙が出そうになった
最後に僧である私に
「罪を浮かめてたびたまえ」と言い残して舞台が
終わる。
僕には意味がわからない、いったい何の罪なのだろう?
何を許せばこの老女は救われるのだろう・・・
「水むすぶ、つるべの縄の繰り返し、昔に帰れ、白河の波」
水桶に水を汲み、老婆が観音様に水を捧げている・・・

「檜垣」「姨捨」「関寺小町」という三曲がある。
是を総称して三老女という。
今日は観世清和さんの「檜垣」のワキを勤めてきた
初めて勤める曲で緊張したが
極めて奥深い曲で、私などにはとうてい演じきれる曲では
ないことが、よくわかった。
まずワキの名乗りが、むずかしい・・・
九州肥後の国、岩戸の山奥の観世音菩薩のある寺に
住んでいる僧の役だ
「南西は海雲漫々として万古心の内なり・・・」
このサシ謡の節が独特で、調子がとりにくい
何度謡っても納得できない
世捨て人の僧なのであろうか・・・
そこへ百歳にもなろうと見える老婆が毎日
水を汲んで供えに来る
名前を尋ねると
「年ふれば、わが黒髪も白河の、みつはぐむまで老いにけるかな」
という歌を詠み、私の跡を弔ってくださいといい、姿を消してしまう
この歌はは毎日水を汲む時に自分の姿を水鏡に映して詠んだ歌なのだ。
老女はかつて若い頃に太宰府に住む
藤原興範の前で舞女を勤めていた
その興範がある時白河のあたりを通った時に
檜垣をしつらえた家の前で、水を乞う
そこに住んでいたのが、かつての舞女だった檜垣の女だ
檜垣で家の周りを囲み、誰からも見られたくなかったのだろうか?
かつては絶世の美女ともてはやされ、興範に使えていた
その時に興範が喜んだ水の思い出が一生忘れられないのだろうか
百歳にもなろうとする老女が毎日、白河の家から
岩戸の観世音に閼伽の水をささげに通っている
タクシーを使っても20分ほどかかる距離だ
観世音菩薩が藤原興範に思えたのかもしれない
そこで老女は紅い涙を流して自分の人生を嘆いている
まさに血の涙だ
「誰か生死の理を論ぜざる、いつを限るならひぞや」
この曲のクセの謡ほど、悲しい謡は無いと思った
水を汲むため、釣瓶をたぐる姿に
人の輪廻の虚しさが伝わってくる・・・・
檜垣の女は興範を愛していたのだと思う
何処にもそんな文章は無いが・・・
今日は梅若六郎さんの地謡、観世清和さんの
老婆の姿に思わず涙が出そうになった
最後に僧である私に
「罪を浮かめてたびたまえ」と言い残して舞台が
終わる。
僕には意味がわからない、いったい何の罪なのだろう?
何を許せばこの老女は救われるのだろう・・・
「水むすぶ、つるべの縄の繰り返し、昔に帰れ、白河の波」
水桶に水を汲み、老婆が観音様に水を捧げている・・・

| ホーム |


